7月
ご存じの通り、緊急事態宣言が解除されコロナの感染者数は一時的に減っただけで、すぐに第二波が来た。
歌舞伎町では、ホストクラブでクラスターが発生しまくって、水商売を叩く声が相次いだ。
客足が戻る事なんてあり得ず、飲食業界や水商売業界への打撃は相当な物だった。
歌舞伎町では幾つものホストクラブが潰れて、立川にあるライバル店の一つもこの時期に潰れて、立川にはホストクラブが2店舗だけになった。
系列店から数えて20年以上続くうちの店も当然稀に見る危機的状況に陥っていた。
それに加え、辞める従業員も多く、ずっとナンバー1だった、主幹も7月を最後にホストを引退した。
まだ、立川の夜の街が盛り上がる頃、毎日のようにシャンパンを浴びて、バースデーやイベント時にはタワーにシャンパンを注ぎ、華やかなホスト人生を送ってきた主幹の最後は質素な物だった。
10年ホストを続けた主幹のラストに、シャンパンコールが響き渡る事は無く、それ所かお系を引く従業員も多く、店内はいつも通り空席が目立った。
午齢も40を超えていたと言う話だし、コロナの影響もあり潮時だと思ったのだろう。
僕自身もそんな主幹の最後の日にシャンパンの一つも入れられず、華やかに送り出せなかった事を悔やんだ。
しかし、それもそれで正しい最後だったのかもしれない。
一番仲良くしていたゆうせいさんも8月で辞めた。
彼も40歳目前で思うように結果が出ない事実に、限界を感じていたみたいだ。
ゆうせいさんは店での権力者である先輩方と馬が合わなかったみたいだし、辛い想いも多かったと思う。
売り上げが全てのこの業界で、結果で見返そうと努力してもなるようにしかならない現実はとても辛かったと思う。
多分ゆうせいさんが本音で話せるのは、僕だけだったし「お前がいてくれて楽しかったよ」とよく言ってきた。
僕は他の先輩も皆好きだったけど、ゆうせいさんの事を舐め腐ってる先輩の態度はあまり好きじゃなかった。
だから、ゆうせいさんには結果で他を見返して欲しかった。
バイトの僕でもゆうせいさんよりずっと結果は上だったから
「こんな所で終わっていいんすか?もうちょっと頑張りましょうよ!」
と上から目線で葉っぱをかけた。
と言うより単純に辞めてほしくなかった。
「もうやりきったからいいんだよ。」
結局ゆうせいさんは最後の月でもお茶を引き続けて、最終日もお茶だった。
悲しい最後だ。
花束も色紙も無ければ、祝福の言葉も当然無い。
しかし厳しい状況を皆で乗り越えて行かなきゃいけない時に、辞める人間に祝福もクソも無いのは当たり前かもしれない。
「隼人ありがとうな。辞めてからも飯行こうな」
二人でキャッチをしている時は、よく愚痴を言っていた。
しかし、最後に「一緒に頑張りましょう!」で締め括れ無い人に愚痴を言っても虚しいだけだ。
「ゆうせいさんと遊んでる暇なんてないっすよ」
と冷たく一蹴した。
辛辣かもしれないし、少し悔しかったけどこれが本音だから仕方ない。
ーーーエピソード25へ続くーーー
ホスホス