Episode.3 最大の家出
今までで一番大きな家出は中学3年生の時でした。
この頃、僕は受験勉強もせず、唯一頑張っていたサッカーも辞め、家には居場所が無く、学校も楽しいと思えず、何もありませんでした。
何もかもが嫌でした。
思春期をこじらせ、全てが辛くて辛くて仕方ありませんでした。
どこにも居場所がありませんでした。
「家出をしよう今度こそきちんと」
不意にそう思いつきました。
1年生の夏休みに友達と海水浴に行った「鵜原」を思い浮かべました。
東京駅から特急わかしお号に乗り、勝浦から外房線に乗り、たどり着いた勝浦市の鵜原は千葉県の東に位置し、海水浴シーズンは観光客で賑わう房総半島の海の街でした。
友達に連れてこられ、初めて来た鵜原の街並みが僕はとても好きでした。
潮風の匂いも、どこか懐かしさを感じる街の外観にも心地良さを覚えました。
当時、鵜原の駅は無人駅でSUICAをタッチする改札もありませんでした。
切符を箱に入れて駅の外に出る作りになっていました。
田舎では割に当たり前の光景なのかもしれませんが、東京産まれ東京育ちの僕からしたら衝撃でした。
今だから言える事ですが、中学生の僕たちがこの鵜原で海水浴をしようとした理由は、無人駅で改札を飛び越える事が出来たからです。
駅のホームには「プラットホーム」と言われる待合室があり、ベンチが設置されており、24時間灯がついていました。
「泊まれるな。」
反射的にそう思いました。
そんな訳で僕は鵜原に行く事を決めたのです。
季節は5月くらいだったでしょうか。
持っていたカバンの中で一番大きいボストンバックに入るだけの服を入れ、下着を入れ、歯ブラシを入れ、とにかく生活する為に必要な物を詰め込みました。
日曜日の夕方、誰にも気付かれないよう僕は家を出ました。
舐められないよう、上下共真っ赤なadidasのジャージを着込みました。
今考えてみればこの発想は意味不明です。
最寄り駅の国立から僕は一番安い切符を購入し、電車に乗り込みました。
まるでこの世界中の不幸を一身に背負ったかのような顔をして、世間を睨み、真っ赤なジャージの少年は中央線に揺られました。
東京駅のコンビニで店員を睨みつけながらサンドイッチと、CC.LEMONを購入し、特急わかしお号に乗り込みました。
物思いにふけりました。
鵜原駅に到着した頃には21時頃になっていました。
誰もいませんでした。
安心しました。
地元の人と、夏に海水浴に行く人以外は誰も利用しないのです。
誰もいない真っ暗なホームの中央に、木造造りのプラットホームだけが煌々と灯りを放ちひっそりと佇んでいました。
潮の香りがしました。
僕はその中に入ると腰を降ろしました。
22時頃に終電が来ましたが、乗車客はいませんでした。
プラットホームの切れかけの電球に虫が集まって、羽音が耳障りでした。
またしても勢いだけでこんな所に来てしまいましたが、計画なんてありませんでした。
僕はただ座ってボーッとしました。
プラットホームの灯はずっと付いているのか心配になりましたが、消える事はありませんでした。
終電が過ぎてから警備員が見回りに来る事も警戒しましたが、それも来ませんでした。
やる事なんてありませんでした。
いつものように後悔が襲って来ました。
「意味わかんねー。何でこんな事してんだろ。」
中学3年生にもなっていたので小学生の頃と比べると怖さにも多少慣れてはいましたが、それでも地元から遠く離れた田舎の暗闇は充分に僕を恐怖で包み込みました。
ケータイなんて持っていなかったので、誰にも頼る事は出来ません。
例えケータイがあったとしても、この時の僕に自信を持って友達だと呼べるような人はいませんでした。
もちろん家族にも連絡するはずがありません。
お腹が空いて来ました。
ただこんな田舎の駅の周辺、どこをどう探せばコンビニがあるのかなんて検討もつきませんでした。
プラットホームの外は見渡す限り暗闇です。
「明るくなったら街に出よう」
僕はそう決めると孤独な夜をじっと耐え抜く事を決めました。
陽が昇りました。
改札を通らず線路を突っ切ると駅の外に出ました。
コンビニを見つけ食料を調達して、海に行ってみました。
5月の早朝の海は静かでした。
特に何をする事も無く海を眺めました。
磯臭い潮風の匂い。
カモメなのか何なのか分からない鳥の鳴き声。
特に綺麗な訳では無い濁った鵜原海岸の海。
ただ、ボーッとそれを眺めていました。
気づけばボロボロと涙が流れて来ました。
「何してんだろオレ…」
何もありませんでした。
8時30には学校が始まりますが、僕は真っ赤なジャージを着て房総半島で一人海を眺めていました。
僕が通っていた中学は頭が良く、同級生達は皆進学校を目指し受験勉強に励んでいました。
仲が良く皆で励まし合ったり、合唱祭や体育祭などのイベントでは団結して盛り上がっていました。
知る限りでは家族とも仲が良く、皆が幸せそうに見えました。
僕は気づけばそんな友達の輪からも外れていました。
いじめられていた訳でもなければ、不良だった訳でもありません。
普通に友達だっていたはずです。
僕が勝手に人を信頼しなくなっていっただで、年を重ねる毎にひねくれていったのです。
勉強も出来ない学年で1.2を争う落ちこぼれで、唯一頑張っていたサッカーを辞め、家には居場所が無く、本当にどこにも居場所がありませんでした。
家から遠く離れた房総半島の堤防だけが僕に居場所をくれました。
今まで泣く場所なんて何処にもなかったのです。
それからお腹が減ったらコンビニでご飯を買って食べ、また海を眺めました。
夜になったらプラットホームに戻って、適当にコンビニで買った漫画を読んで過ごしました。
他にやる事なんてありませんでした。
これは単なる意地でしか無いのです。
学校はよくサボっていたので、特に問題も無いはずです。
親だって僕を探しているかどうかなんて分かりません。
そんなこんなで3日間もの間、ただ海を眺め、漫画を読み、プラットホームに寝泊まりすると言う意味深な生活を繰り返しました。
流石に3日もそんな生活をしていると飽きました。
いや、最初から飽きてはいました。
意地を通すだけ通し切った。
そんな感じでした。
「もういいや。」
十分頑張った。
そこにあったのは意味深な達成感でした。
布団で寝たいし、お風呂に入りたい。
家出をやり切るだけやり切った。
明日からは現実と向き合ってしっかり頑張ろう。
受験まで残り僅かだけど、今からでも出来るだけの事をやろう。
これで家出は最後にしよう。
親に謝って、高校生になったらもう一度頑張ろう。
友達を作って、もう一度サッカーをしてみよう。
結局最後はそんなセンチメンタルな気持ちになって僕の家出は幕を閉じるのだった。