家族、兄弟が仲が悪い人へ、複雑な家庭環境で育った人へ、消えない孤独を背負った人へ。
家に居場所が無い子供
父親は家族との行動を避けるようになり、どこで生活しているのかあまり見なくなりました。
母親に話しかける事に抵抗を覚え、兄と喧嘩を繰り返した挙句喋らなくなり、そんな兄達に距離を取るかのように妹も近寄ってこなくなりました。
そんなこんなで僕は本当に早いうちから家族で孤立し、小学生高学年頃からは家で殆ど喋らなくなっていました。
だからと言って学校でも喋らない訳では無く、学校では割に明るい方でした。
いや、むしろめちゃくちゃ明るい子でした。
小学校の時からお笑いが大好きで、人を笑わせる事ばかりを考えていました。
誰の血なのか運動神経だけは良くて、サッカーを本当に頑張っていました。
毎日練習ばっかで、夢はサッカー選手になる事でした。
もちろんそんな夢を母に打ち明ける事はありませんでした。
胸にそっとしまい込んで、練習に励みました。
目立ちたがり屋だったので先生を困らせるような事もたくさんしましたが、そんな性格も相まってどちらかと言うと人気者でした。
だからこそ友達から家族の話を聞いたり、家に遊びに行った時に楽しそうにしている家族を見ると胸が痛みました。
これが普通の家族でうちは普通じゃないんだ。
と言う事にようやく気付きました。
学校やサッカーから帰って来ても、家に帰れば息が詰まりました。
家には居場所はありませんでした。
それぞれがバラバラで過ごしました。
妹と母親だけはまだ仲が良く、普通に話していました。
しかし、誰もが干渉し合おうとはしませんでした 。
母親と話す時は事務的な用事がある時だけです。
当然中学生なんで、お金が無いからです。
サッカーの遠征に行く時にお金を貰いました。
その度に母は渋い顔をして、僕は申し訳無い気持ちになりました。
『早く自分1人で生きていきたい。』
そんな事ばかりを考えるようになっていました。
中学に上がった頃、父親が蒸発しました。
だからと言って、僕は母親に父親がどこに行ったかなんて尋ねもしませんでした。
「あー、いなくなったんだな。」
とただ、そう思っただけでした。
この時既に父親はリストラされていたと言っていましたし、我が家の家計がどうやって回っているのか僕は知りもしませんでした。
家族が喋らない、複雑な家庭環境で育った子供の特徴
いつかは改善されるだろう。
薄々そんな事を考えながら期待しました。
しかし、僕は兄や妹とそれから一度も話す事なく、同じ屋根の下に暮らしながら他人以下の態度を貫いたまま、時間が過ぎました。
結局僕は高校を卒業し就職し、 19歳の時にようやく家を出ました。
それまではお金が無かったので仕方ありません。
別に親に出てけと言われた訳でも、嫌われている訳でもありませんでした。
兄はこの時既に家を出ていました。
高校生だった妹は当然いましたが、結局一度も話す事はありませんでした。
親に愛情が無かった訳では無いと思います。
何だかんだ言ってもそこまでの不自由が無い生活をさせてくれて、やりたい事もやらせてくれて、ここまで普通に育ててくれました。
「こんな家族になってしまって申し訳ない」
と、言うようなメールが何度か来ました。
ただ壊れていく家族をどうこうする余裕が無かっただけなのかと思います。
僕も別に誰の事も恨んでいませんし、誰の事も嫌いじゃありません。
しかし小さな歪みは徐々に大きくなって、気づけば簡単に壊せない大きな壁になってしまった。そんな感じです。
むしろ恨んだのは自分自身でした。
「何故こんな風になってしまったんだろう」
「申し訳ない」
「ごめんなさい」
そんな感情が募り続けました。
そんな訳で10代まで僕はネガティブで、卑屈な性格でした。
表面上では明るく振舞ったりしながらも心の内側はいつも霧がかかっていたような感覚でいました。
『自分は不幸な人間なんだ』
と、思い込み続けました。
この時気付いてはいませんでしたが、それは完全に家庭環境から受けたインスパイアでした。
家族が顔を合わせるのは、親戚に不幸があった時だけです。
極力会わないで済むのであれば、母や兄弟と会うのを避けました。
会っても耐え難い沈黙があるだけです。
しかし葬式となるとそうもいきません。
久しぶりに顔を合わせても挨拶さえせず、一言も口を聞きませんでした。
覚えたのは気まずさと同時に申し訳なさでした。
こんなに家族が仲が悪くなってしまって。
自分のせいだと。
どうしようも無いような暗い気持ちになりました。
しかしもう、どうしようとする事も出来なかったのです。
僕はもう家族と会う事を辞めようと決めました。
会う度に暗い気持ちになるのが嫌でした。
自分が明るい気持ちでいる為に蓋をしたのです。
家族が仲直りする日はくるのか?
しかし、結果的に家族と話す機会は巡って来ました。
兄との関係は消滅していましたが、同じ地元の同じ中学に通っていたので共通の知り合いがいました。
僕達は仲の悪い兄弟で有名でしたが、僕は兄の友達に知り合いもいました。
誰に聞いたのか知りませんが、兄からラインが来ました。
「結婚式に参加して欲しい」
との内容でした。
兄が結婚して子供がいた事も知っていました。
僕は仮に結婚して結婚式を挙げたとして、家族を呼ぶべきものなのかどうかと言う事をずっと迷っていました。
呼ばずにはいられないのであれば、式を挙げるのはやめようと決めていました。
まさか、兄から結婚式に出てくれと言われるとは想像もしていませんでした。
「分かった」
と、返しました。
式場には母親、妹、父親の全員が揃っていました。
おめでたい日だと言うのに関わらず、僕達の間には気まずい沈黙だけが流れていました。
父親と母親と僅かに言葉を交わしたきり、披露宴は終盤へと向かいました。
妹とは一度も目が合いませんでした。
覚悟はしていましたし、仕方の無い事です。
しかし、披露宴の最後、新郎スピーチで兄がまさかの事を言いました。
物心ついた時から、両親の仲が悪かった事。
弟と妹ともずっと仲が悪かった事。
こんな家族になってしまった事は自分に責任があると言う事。
そして、この結婚式を機に仲良くなれたら良いと言う事。
「この後飲みに行こう。」
最後に兄は言いました。
兄も考えている事は僕と同じのようでした。
兄も心の中でずっとモヤモヤを抱えて生きて来たのでしょう。
それをこの日をきっかけに少しでも改善できればと、新郎スピーチを読む事を心に決めていたのでしょう。
大きな緊張と決意があったに違いありません。
僕はその気持ちに答えようと決めました。
会場はその日一番の拍手に包まれていました。
「頑張れよ」
兄の友達が何故か僕に声をかけて来ました。
披露宴が終わり、結果的に僕と兄は2人で飲みに行きました。
楽しい二次会が待っているのに関わらず、僕の事を優先しました。
父と母と妹は帰りました。
華やかな披露宴会場とはうって変わって寂れた居酒屋でした。
10年ぶり以上に口を聞きました。
不思議な感覚でした。
気まずさはありませんでした。
今まで何をして来たか、今何をしているか、
そんな事を僕達は話しました。
兄に子供が産まれた事がきっかけになって、兄と母、父は少し会うようになったとの事です。
父は福島で原発の処理をしていたとの事ですが、今は家に戻っているとの事です。
それに伴って母と妹が出て行ったとの事でした。
それは別に仕方の無い事です。
空き部屋が勿体無いので、僕は実家に戻る事にしました。
結果的に今は頭のおかしな父親と2人で暮らしています。
幸いな事に、僕は周りの人間や環境、人生で起こった出来事に恵まれたおかげで、今やとてつも無くポジティブな人間になる事が出来ました。
自分自身このままじゃヤバいと思い、心理学や家庭環境が性格に与える影響などを少し勉強した事もプラスに働きました。
そして行動を起こし続けました。
悲観的になるのは辞めて、自分がやりたい事をなんでもやりました。
そしてその中で出会ったたくさんの人達が、僕の価値観や考え方を少しずつ変えてくれました。
家族全員が仲が良くなった訳ではありませんが、あの日から僕の中に存在していたモヤモヤは晴れました。
兄とはそれきりだし、妹と母とも会っていません。
しかしそれはそれでいいのかもしれません。
無理にどうこうする必要も無いと思っています。
ただ、自分に子供が出来た時、両親や兄弟にも自分の子供を見せてやろうと思っています。
物事はいずれ良い方向に向かっていくのかもしれません。

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