家族、兄弟が仲が悪い人へ、複雑な家庭環境で育った人へ、消えない孤独を背負った人へ。
孤独はどうすれば消えるのだろう?
こんにちはキャベ太です。(@yakisobaboya)
今日は僕なりに家族や兄弟が仲が悪い人、家庭環境が複雑な人へメッセージを書いてみようと思います。
複雑な家庭環境と一言で言ってもいろんな状況があると思います。
両親が離婚しているだとか、死去している、施設で育ったなんて人もいれば、他人に話しても理解されないような複雑さの中で育った人もいると思います。
僕はどちらかと言うと後者でした。
説明すると面倒臭いし、周りに話した所で理解されないような環境で育ちました。
両親が離婚してる、死去している、施設で育った等と言う友人はいましたが、僕と同じような境遇の人は周りに1人もいませんでした。
なので他人に話しても理解されないと思い、説明するのも面倒臭い分かりづらい家庭環境の事を他人に喋るのを辞めました。
しかし、日本のどこかでは僕と同じような境遇の人がいるかもしれません。
だから今日は、もし僕と同じような境遇の人がいて、そんな人達の為に「1人じゃないんだ」と少しでも勇気を与える事が出来たらと思い、僕の事を書かせてもらいます。
家族の仲が悪い
僕が物心がついた頃から両親の仲が悪く、家庭の政権は母親が握っていました。
父親は大分変わり者でふざけた性格の人でした。
子供の僕から見ても、おっちょこちょいじゃ済まされないようなポンコツでした。
普通の人が普通に出来る事が出来ないし、とにかく常識が無い人でした。
バスタオルで床を拭く、電車で床に座り込む、パンツ一丁で外に出る、揚げ物をしたまま眠って火事を起こす。
父親のふざけたエピソードを上げていったらキリがありません。
とにかく父は自由気ままで、協調性が無い人でした。
何度、母親に注意されても父親の非常識さは治りませんでした。
バスタオルで床を拭いていけない事など子供にだって分かる事です。
とにかく父親は度が過ぎたマイペースと言うか、天然でした。
1人で生きて行く分にはまだいいかも知れませんが、他人と暮らしていいような人間ではありませんでした。
おっさんになっても夢を見ているような人で「起業する」だとか「小説家になる」だとかバカ見たいな事をよく言っていました。
今思えばその辺の性格は僕と全く一緒でした。
一応、国立大卒で頭だけはいいようでした。
学歴なんて生きていく上でなんの役にも立たない。
それが僕が父から学んだ一番の教訓でした。
毒親
反対に母親は真面目で勤勉で、ヒステリックな人でした。
父親と暮らして行く中でそんな性格になったのかもしれませんが、
母型の祖父は真面目な人で、母親は厳しく育てられたと言っていました。
そしてネガティブで不幸自慢をよくする人でした。
あえて今しっくりくる言葉で表現するのであればメンヘラでした。
確かに母親が生きてきた環境は壮絶だと思いましたが、どこか悲劇のヒロインを気取って酔っているように思えました。
母親と父親が仲良くしている所なんて見た事がありません。
とにかく母は子供に父親の事を悪く吹き込み続けました。
「あの人は人として失格だ」
「結婚しなければ良かった」
そんな言葉をよくもらしました。
確かに父親は子供の僕から見てもポンコツでした。
何より母親に父親がポンコツだと教育されたのでそうとしか見えなくなりました。
しかし、今思えば何もあそこまで言わなくても良かったのではないかと思います。
直接言うならまだしも、子供に父親の事を悪く言うような事はあってはいけない事です。
ある種の洗脳です。
そのせいあって、僕も子供のうちから父親の事が嫌いになり、極力関わらないように距離を取り始めました。
そして父は孤立するようになり、家族から浮いた存在になりました。
僕が中学の頃にはいなくなりました。
とは言っても子供は無邪気な物で、幼稚園や小学校であった事を最初はたくさん話していました。
しかし母はとても否定的な人間でした。
一生懸命頑張ってる事や、夢の事、楽しかった事。
母は何かにつけて揚げ足をとって否定してきました。
今でもよく覚えてるエピソードがあります。
幼稚園の時、僕は好きな子からバレンタインチョコをもらいました。
そして母親にそれを報告しました。
母親は言いました。
「別に〇〇ちゃんはあんたの事が好きだからチョコあげた訳じゃないからね。」
言われてから僕は黙り込みました。
何故そんな事をわざわざ言う必要があったのでしょう。
そんなことは最初から言われなくても分かっていました。
子供ながらにこのチョコが義理チョコであることは分かっていました。
と言うか幼稚園児のチョコに、義理も本命もクソも無い事くらい分かっていました。
そのくらい僕は賢い子でした。
それをわざわざ否定し直された事に大変傷つきました。
子供の語彙力じゃ太刀打ち出来ないような言葉で切り捨てられる事がしばしばありました。
確かに幼稚園小学校と、兄も僕も出来の悪い問題児でした。
それが母なりの教育だったのかもしれませんが、だからと言って実の息子の事をあそこまで否定する事はなかったような気がします。
親に褒められた記憶はあまりありません。
ある日僕は母に何を言っても否定される事に気付き、次第に母親に話しかける事もなくなりました。
仲が悪い兄弟
兄と妹がいましたが、兄とはどう言う訳か喧嘩ばかりでした。
最初は子供同士の可愛い喧嘩だったはずが、何故かどんどんエスカレートして小学生の頃にはもう普通の殴り合いになっていました。
中学に上がる頃には一切口を聞かなくなっていました。
それから大人になっても一切口を聞きませんでした。
そんな兄達に距離を置くかのように、妹が僕達に話しかけてくる事も無くなりました。
家庭環境と性格の因果関係
家庭環境と性格の因果関係はどこまでも深く、僕は性格の半分は育った家庭環境で決まると思っています。
それは大人になってからもずっと付き添う物で、中々拭う事は出来ない物です。
お金もちの家の子はお金もちになるし、貧乏な家の子は貧乏になる。
なんて事をよく言いますが、幸福度の関連性も然りです。
不幸な家に産まれた子は不幸になる可能性が高いし、幸福な家で産まれた子は幸福になる可能性が高いと言う事です。
片親だったとか、貧乏だったとかでは無く一番重要なのは親が幸せそうに見えてたかどうかだと思います。
僕は両親が幸せそうに見えた事は記憶に残る限りありません。
下手すれば負のスパイラルは代々受け継がれます。
しかし、あくまでも可能性です。
それ以外の環境やパートナーに恵まれる事、あるいはこのままじゃダメだと気付き、変わろうと強く決心する事でようやくそれは払拭出来る物なのかもしれません。
ある意味僕の親も毒親だったのかもしれません。
予想以上に長くなりそうなので次回へ続きます。