Episode.19【手紙】
それから信じがたい事に、ユキは毎日お店にやって来ました。
背の高い常連の男と二人で来る事もあれば、他の常連連中に混ざってやって来る事もありました。
僕とは一切目を合わさず、完璧にシカトを決め込んでいました。
まるで僕の事は見えていないかのように、僕は自分が空気なんでは無いかと何度も疑いました。
ユキの姿を見る度に心は引き裂かれました。
しまいにはズタボロに引き裂かれたボロ雑巾のようになり、跡形もなく壊れてしまいそうでした。
そんな僕の心境を他所に、ユキは男達に囲まれチヤホヤされ楽しそうに笑っていました。
彼女がそこにいる以上、僕はその輪に入って行く事が出来ず、次第に常連のお客さんとも会話をしなくなってきました。
僕と会話をしてくれるのはケイさんとBだけでした。
食事も喉を通らず、眠る事も出来ず、ひたすらにタバコを吸い続け、10キロほど痩せました。
心身共にズタボロでした。
それでも嫌がらせのように毎日ユキはやって来ました。
彼女が家を出て行って1ヶ月が経過していました。
そろそろ癌の手術で入院の時期です。
それでも彼女は毎日のようにお店に遊びに来て、至って健康そうな笑顔で遊んでいました。
どういう状況なのか、思考力が完全に鈍りきった僕には理解が出来ませんでした。
その頃からケイさんとシフトが被る度、彼女は毎日のように話を聞いてくれました。
そしてその日も情けない事に僕はケイさんに泣きつきました。
「ケイさんあいつなんで入院して無いんスカね、そろそろ手術で入院のはずなんですけど‥」
ケイさんは深く溜め息をついてから言いました。
「隼人くん。薄々感づいてはいたけどあの子癌なんかじゃないよ。癌を患っている子があんな元気に遊べる訳無いでしょ。」
それからケイさんはこれまでのユキの発言の矛盾を説明して行きました。
僕はユキの事を完全に信じ切っていました。
彼女の事を一度だって疑う事はしませんでした。
言われてみればユキの話はいつも出来すぎていました。
絵に描いたありもしないような不幸な話を僕は何度も信じて来ました。
「隼人くんは人の事を信じすぎる所があるね。優しいからね。」
ケイさんは言いました。
僕は項垂れました。
それでも僕にはユキが嘘をついているとは思えませんでした。
彼女の事を何があっても信じたい。
ズタボロになった精神でもそれだけは譲る事が出来ませんでした。
どうにかしてユキに近づかなきゃ。
黙って見守るという行為に耐えられなくなった僕は結果を急ぎました。
話す事は拒絶され、ラインをしても返ってこない。
その結果、僕は彼女に手紙を送ることにしました。
『明るい未来を指し示す』
それが僕が彼女にしてあげるべき最大の使命でした。
何か楽しい事をしてあげよう。
そう思った僕は、ユキが一度行きたいと言っていたオーケストラのチケットを2枚購入しました。
そして自分の想いを手紙に綴りました。
言葉を選んで、何度も何度も書き直しました。
ようやくの思いで書き終えた手紙を便箋に入れ、チケットをセブンイレブンの封筒に入れました。
もう片っぽのチケットは自分の財布にしまいました。
ユキが来たら渡そう。
そう決心し僕は便箋をカバンに入れました。
その日もいつものようにユキはお店にやって来ました。
背の高い常連と一緒でした。
例によって、僕の事は見えていないのか目も合いませんでした。
心がキュッと痛みました。
それでもこの手紙だけは渡さなくてはと、心に誓いました。
ユキが席を立ちました。
ドリンクバーのコップを持って、ドリンクを注ぎに行く様子でした。
僕はユキの元に走り寄って、勇気を出して声をかけました。
声を出す時に胸の辺りがキリキリ痛みました。
「ユキ!」
たった1ヶ月前まで普通に話していた相手なのに、何故こんなにも動揺してしまうのかが不思議でした。
ユキは怪訝そうに僕を見て言いました。
「何?」
僕は便箋とチケットの入った封筒をユキに差し出しました。
「えっ、何これ?」
「返事は後でくれればいいから。」
僕はなんて言えばいいのか分からずそう言うと、便箋と封筒を彼女のジャンパーのポケットに押し込みました。
そして足早にその場を去りました。
10分後、スマホが鳴りました。
ユキからでした。
「チケットありがとう。でも私今別の彼氏がいるからいけないかな。ごめん」
こんなにも近くにいるのに、こんなにも簡易的であっさりしたラインで僕の全ては終わりました。
僕がどれだけの思いでチケットと手紙を手渡したかなど、ユキには興味の無い事でした。
ちらりと見ると、彼女は何事もなかったように楽しそうにダーツを投げていました。